ソ連のドメイン「.su」誕生に関わった19歳のフィンランド人学生

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人知の及ばぬ32ビットの空間に、
名前がついたその日から、
見知らぬあなたと、見知らぬあなたに、
ウェブの糸がつながった
ドメインの織りなす運命を解き明かす
あらたな世界の扉が開かれる
それが、あなたの知らないドメインの.世界

 

 

ソビエト連邦の国別ドメイン「.su」の誕生に、19歳のフィンランド人学生が関わっていたとされることをご存知ですか?

 

1990年9月19日、ソビエト連邦の国別コードトップレベルドメインとして、「.su」 がInterNICのデータベースに登録されました。 登録を行ったのは、ソ連UNIXユーザー協会(SUUG)です。この「.su」の誕生をめぐっては、興味深い逸話が伝えられています。

 

当初、ソビエト連邦を表すドメインとして「.ussr」が候補に挙がっていたところ、ソ連側のネットワーク接続に協力していた フィンランド・ヘルシンキ大学の19歳の学生、ペトリ・オヤラ氏が、より短い「.su」を提案したというものです。

 

ただし、オヤラ氏が一人で国のドメインを決定したり、正式な方針を覆したりしたわけではありません。 そもそもSUは、当時ソビエト連邦に割り当てられていたISO 3166の2文字国コードでした。国別ドメインは原則としてISOの国コードを もとに割り当てられるため、.suは制度上も自然な選択だったのです。

 

また、公式に確認できる登録経緯では、「.su」はソ連UNIXユーザー協会によって登録されたとされています。オヤラ氏は、ソ連側の 技術者と協力しながら、ネットワーク接続やドメイン登録に関わった人物の一人だったと考えるのが妥当でしょう。

 

当時のインターネットは、現在のように巨大企業や各国政府が整備した完成済みのインフラではありませんでした。大学や研究機関、 技術者たちが国境を越えて協力し、接続方法や運用ルールを手探りで作っていた時代です。そんな技術者たちの中に、19歳の学生も 加わっていた――。この事実は、インターネット黎明期ならではの自由さと、若い技術者にも重要な役割が与えられていたことを 感じさせます。

 

その後、「.su」が登録されてから約15カ月後の1991年12月、ソビエト連邦は崩壊しました。
1994年にはロシア向けの「.ru」も誕生します。それでも「.su」は廃止されませんでした。現在もIANAのルートゾーンに国別ドメイン として掲載され、登録・利用が続いています。

 

ペトリ・オヤラ氏が、その後どのような道を歩んだのかについては、本人だと確実に確認できる公開資料を見つけることができません でした。しかし、冷戦末期に若い学生を含む技術者たちが国境を越えてネットワークをつなぎ、その過程で生まれた「.su」 が、 今もインターネット上に残っていることは確かです。

 

参考
.SU DOMAIN HISTORY
Delegation Record for .SU – iana
the Online Browsing Platform (OBP)
The first Internet user in the USSR found a loophole through the Iron Curtain. How the Internet began in the USSR
.su – WikipediaR

 

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